若気の至り

今回も本の紹介です。テーマは「若気の至り」にしてみました。アイキャッチ画像はphotoACから。

「若気の至り」という言葉を辞書でひくと「年が若くて血気にはやったために無分別な行いをしてしまうこと」「若くて無分別であるためにしでかす失敗、恥などを意味する表現。後に自ら振り返って言う場合などに用いることが多い」などと出てきます。

文脈的にはだいたい自分の言動を振り返って使うことが多いのではないかと思います。何かを行なったこと、何かを言ったこと、それが若気の至りであったのかどうかは自分でしかわからないですしね。

自分の過去の言動を振り返って頭を掻きむしってしまうことが多くありますが、まだまだ「あれは若気の至りだった」と綺麗に括れるような境地にはなかなかなれていないです。

若かったころのの自信過剰や夜郎自大な振る舞いは思い出すだけでキリキリと心を痛めつけますが、それが故に何かをやり、結果として起きた失敗や後悔が自分を育ててくれたのである。そういった痛みで削り取られなければ多少はまともだと言える人間にはなれなかったのだ。と、ようやく考えられるようにはなってきました。

今回は少年時代に「自分は何か人と違うことをやる人間ではないか」という妄想を鋭く差し込んでくれた本を紹介します。この本は中学の同級生であった女子がお兄さんの蔵書から貸してくれたものです。最近ようやく原書を手にいれることができました。

上温湯 隆(かみおんゆ たかし)の「サハラに賭けた青春」と「サハラに死す」です。後者は山と渓谷社から文庫化されていて今でも手にいれることができます。

彼はサハラ砂漠に取り憑かれてサハラ砂漠の単独横断に挑戦します。何度かの挑戦の末、結局マリ共和国で渇死状態で発見されることになってしまいました。22歳でした。この本は本人が執筆したものでなく、遺品の日記などから、彼のお母様がまとめて出版したものです。

若気の至りの最たるもので、結果として死んでしまったことは家族にとって悲しみ以上のものだったと思いますが、無謀さに憧れる少年少女の心をいくつも掴み、私も掴まれました。

勇気も行動力も不足していた私は無謀な冒険に出ることはなかったですが、無謀な冒険への憧れを多少とも自分の人生に投影できたのは無駄なことではなかったなぁと思うこの頃です。

終わり

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この記事を書いた人

弊社代表取締役です
18才からプログラミングを仕事にしてきました
紙の本と歩くことが好きです

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