死を感じさせる物語

今回は新田次郎さんの小説を2つ紹介します。アイキャッチ画像はphotoACから。

新田次郎さんは山岳小説の名手として知られています。ご自身も気象庁の職員として富士山気象レーダー建設の責任者を務めるなど、自身で体験した厳しい自然環境の描写は本当に恐ろしかです。

紹介する一つ目の小説は「八甲田山死の彷徨」です。

私が中学生だったころに映画化され、映画中のセリフ「天は我々を見放した」が当時大変な流行語になりました。原作もそうですが映画も大変に恐ろしかったのを憶えています。

この小説は日露戦争前に実際に起こった遭難事件に基づいて書かれたものです。

あらすじとしては青森の2つの部隊、青森歩兵第五連隊と弘前歩兵第三十一連隊が、ロシアとの戦争を想定した雪中行軍演習を冬の八甲田山で行うことになります。それぞれ別ルートで豪雪の八甲田山の踏破を目指します。しかし結果は対照的なものでした。第五連隊は210名の大部隊でしたが、うち199名が死亡(凍死)、第三十一連隊は27名で全員無事生還。この2つの部隊の明暗が小説でも映画でも冷徹に描かれています。

第五連隊では本来行軍に加わる必要のない将校や上官が加わり、行軍中も無用な口出しを行い結果的に部隊を死に誘っていきます。上官の愚かしさと、わかっていながらそれを拒むことができない第五連隊の隊長。妥協がなく非常に厳しいが生き延びる道を何とか繋いで行こうとする第三十一連隊の隊長。第五連隊の隊員たちは寒さのために次々と死んでいきます。その様が恐ろしく描かれています。

私は事あるごとにこの物語のことを思い出してします。今の自分はどちら側にいるのか、死に向かっているのか、生き延びる道を探しているのか。自分を見失わないでいるために必要な私にとってはかけがえのない物語です。

ちなみに映画で第五連隊の隊長を演じたのが北大路欣也さん。第三十一連隊の隊長を演じたのが高倉健さんです。「天は我々を見放した」は北大路欣也さんのセリフでした。

続いて紹介するのが「アラスカ物語」です。こちらも「フランク安田」という実在した日系アメリカ人の生涯に基づいた小説です。

アラスカのイヌイットの人たちにとって非常に大きな役割を果たした人のようです。そのことが語られている物語の中盤以降は実はよく憶えていないのです。

フランク安田は1868年に宮城の石巻で生まれました。22歳で渡米、1891年からアメリカの沿岸警備艇で見習い船員として働きます。この沿岸警備艇が1893年アラスカ沖の北極海で氷に閉じ込められ身動きがとれなくなってしまいます。物語はここから始まります。船内がパニック状態になり疑心暗鬼が広がる中、唯一のアジア人であったフランク安田が食糧を盗んだ濡れ衣を着せられ殺されそうになります。

身の危険を感じたフランクは、少しでも生き延びる可能性をつかもうと救助を求めに行くことを志願します。太陽が昇らない凍りついた北極海の上を徒歩で。最も近いと思われるイヌイット部落まで150km以上。当時ですから現代のように高性能は防寒器具があるわけではありません。GPSもありません。

氷上を一人で彷徨いながら、物語では彼の人生や思い出がフラッシュバックのように語られていきます。

緑もない、人が生きている気配はどこにもない、太陽も昇らない、どちらを見渡しても氷原、ありえないような寒さと渡された最小限の食糧。自分がこの状態にポトンと落とされたらどれくらい正気を保っていられるのだろうかと考えてしまいます。

結果的に彼は生き残ってアラスカの地で生涯を終えるのですが、私にとっては前半部分の氷原の彷徨がとても印象深く刻まれた物語です。

終わり。

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この記事を書いた人

弊社代表取締役です
18才からプログラミングを仕事にしてきました
紙の本と歩くことが好きです

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