私が影響を受けた書物について書くシリーズの今回は「論理的に考える」ことに対するきっかけや気づきを与えてくれた本たちです。
最初にお断りしておきますが、この記事には「どうしたら論理的に考えることができる?」「論理的に考えるってどういうこと?」という問いに応えられることは何も書いていません。それは私にとってもずっとテーマであり正しい答えに辿り着いていないからです。
最初の一冊は木下是雄 著 「理科系の作文技術」です。著者は物理学者です。

この本は良い論文を書くための考え方、書き方、講演を行うときの話しかたなどを理科系の学生、研究者に向けてかなり詳細に書いたものです。
この本に出会ったのは20代だったと思いますが、読んだキッカケが何だったかは忘れてしまいました。もしかすると当時愛読していたbit に紹介記事があったのかもしれません。いつでも手に取れるようにできるだけ近くにおいていたのですが今回書棚を探したらみつかりませんでした。なので書影は出版社のものを使っています。
当時の私は(今もですが)”考えをまとめることができない” ということに悩んでいました。何かについて突き詰めて考えようとしてもアチラこちらに思いが散ってしまい、結局手を動かしたほうが早いと言い訳をしながらバクチのような仕事(プログラミング)をしていました。それを何とかしたいと思って手に取ったのだと思います。
私は理科系の学生でも、研究者であったこともありませんが、私の仕事「何かをもとに考えてプログラムをアウトプットする」を行なっていくうえで、考えるということにも道筋や定石のようなものがあることに気が付かせてくれた貴重な本です。参考までに大きな章立て目次だけ載せておきます。まだ読み続けられていますし、これから自分の仕事人生を作っていきたいという人にもとても参考になる本だと思います。
- 準備作業(立案)
- 文章の組み立て
- パラグラフ
- 文の構造と文章の流れ
- はっきり言い切る姿勢
- 事実と意見
- わかりやすく簡潔な表現
- 執筆メモ
- 手紙・説明書・原著論文
- 学会講演の要領
次の一冊は川喜田二郎 著 「発想法 / 創造性開発のために」です。著者は文化人類学者です。

手持ちの本を撮影したので汚れていてすみません。
先の理科系に対して、こちらはいわゆる文化系の活動を行う人に向けて書かれた本です。私と同世代の人にとってはKJ法 の本と言った方が伝わるかもしれません。出版社のページは改版された版の情報なので出版が2017年となっていますが、最初の版が出版されたのは1966年です。「続・発想法」という続編も出ています。
こちらも何がキッカケで読んだのかは忘れてしまいましたが、時期的にも悩み的にも「理科系の作文技術」と同じだったと思います。
この本には、文化人類学のフィールドワークや文献漁りなどから得られた一見関係がなさそうだったり、重要なのかそうでないのかも自明でないようなバラバラな一次情報から、どうやって繋がりや関連、重要性を見つけ出していったら良いか。結論ありきで、その結論に合致するような一次情報だけを(無意識にでも)収集、選択してしまうような思考を避けなければいけないかが書かれています。
理科系、文化系と括ってしまうと全く別のことが書かれているように思ってしまうかもしれませんが、この二冊が私に与えてくれた影響や思考方法はどちらも驚くほど同じ脳の領域にあるものだと感じます。こちらも参考までに大きな章立て目次だけ載せておきます。
- 野外科学
- 野外科学の方法と条件
- 発想をうながずKJ法
- 創造体験と自己変革
- KJ法の応用とその効果
そして最後の一冊は奥出 直人著「 物書きがコンピュータに出会うとき / 思考のためのマシン」です。残念ながらこちらは絶版です。

こちらも手持ちの本を撮影したものなので汚れていてすみません。古本屋さん的に表現すると”カバ ヤケ シミ 帯ナシ” ですね。こちらの初版出版は1990年です。先の二冊に比べるとだいぶ新しいですがコンピュータのハード、ソフトについて書かれていると、コンピュータ以前のものよりも古いと捉えられる時期が早くきてしまう例だと思います。
こちらは文化史やデザインに関する研究者である著者が、自身の論文や文書作成にコンピュータを有効に使うことができないかの模索や思考過程の記録です。時代はまだWindows以前、パーソナルコンピュータはまだ MS-DOS 、 Classic Mac OS の時代でした。
その時代に構造的に文書を扱うことができるアウトラインプロセッサ、AIとの対話で文書作成を進めていくことができる「ソウトライン」、ハイパーテキスト的なデータベースなどについて実際に自分でトライしてみて考えた記録になっています。
情報や思考を思ったように扱いたいという現代と変わらない知的欲望と、現代と比較すればありえないほど少ないコンピュータ資源で実現しようとした人たちがいて、目指している方向は現代とそう変わらないんだなぁと、この記事を書くために読み返してみて思いました。こちらも参考までに大きな章立て目次だけ載せておきます。
- 物書きがコンピュータに出会うとき
- 書く機械の現在
- 電脳書斎の将来
- コンピュータを使っていかに書くか
この本は、考えるためにコンピュータを道具として使うことができる、ということに気付かせてくれました。そして私は60回ローンでIBM-PC互換機を購入したのでした。。。
終わり
